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運動協力者の声

アフ毛ストーリーズ

かたちや場所は違っても
今後も共に世界を良くするための取り組みを

中島慧さん(千葉県)

2008年、モザンビークでの配付活動

2008年、モザンビークでの配付活動

訪問先の子どもたち。ボランティア隊を歓迎してくれた

訪問先の子どもたち。ボランティア隊を歓迎してくれた

アフリカで目の当たりにした貧困

 現在、社会人11年目になりますが、大学3年生の時にモザンビークへの配付ボランティアに参加しました。当時、私は特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会に所属していて、大学一年生、二年生の時にカンボジアを訪問し、教育支援事業として小学校の校庭にブランコをつくるボランティアを経験していました。

 JHPで一緒に活動をしていた先輩たちが毛布の配付ボランティアにすでに参加していて「行ってみたほうがいいよ」と勧めてくれたことがきっかけでした。詳しく話を聞く中で、自分の視野を広げる機会になることやJHP以外の人との出会い、一緒に活動できることなどに興味を持ち、応募しました。

 話を聞いていたものの、実際に現地を訪れてみると貧しさや経済格差に衝撃を受けました。都市部から車を一時間ほど走らせて地方に入っただけで、人びとの暮らしが変わりました。分かりやすいのは家のつくりです。譬えて言うなら、『三匹の子ぶた』という童話に出てくる藁(わら)の家。非常に簡易的なものでした。そのような家で暮らす人たちにとって、毛布がどれだけ価値を持つかを知りました。モザンビーク国内の経済格差はもちろん、普段、自分が日本でいかに便利な暮らしをしているかを考える機会にもなりました。

 毛布の配付ボランティアに限らず、カンボジアでの経験も踏まえて感じたことですが、どうしてもこうした取り組みは「物を渡す活動」と思われがちです。私自身、「なぜカンボジアにブランコが必要なの?」「なぜ経費を使って現地に行くの? お金を送った方がいいのでは」とよく聞かれました。私はこんな自分たちが、日本人が「皆さんのことを気にかけています」と顔を見せにいくことが現地を訪問する意味だと思っています。また当時、大学生の私は特別な経験があるわけではなく、頭が良いわけでもなく、お金も持っていませんでした。できることは現地を訪問して見たことや聞いたこと、匂いなども一つひとつを周りの人に伝えること。そう考え、啓蒙活動に力を入れたものでした。

日本からの贈り物を届けた

日本からの贈り物を届けた

訪問先の村人たちとの交流

訪問先の村人たちとの交流

「できることからはじめよう」の精神で

 もともと「食」に興味があり、大学では醸造について、具体的には味噌や醤油、酒など発酵に関することを学んでいました。子どもの頃、アトピー性皮膚炎だったため、親が食生活をとても大事にしてくれていたのが食への関心が強くなったきっかけです。将来は食に関わる仕事がしたいと考えていましたが、カンボジアやモザンビークを訪れたことでその思いはさらに強くなりました。世の中には食べたくても食べられない人がいること、フードロスの問題。そうした大きな意味で食に関する問題に少しでも関わりたいと大学卒業後、食品メーカーに入社し、現在は原材料の買い付けなどを担当しています。

 今年で運動が終わると知り、一つの取り組みを長く続ける大切さを思うと同時に、難しさについても感じています。仕事柄、自然環境の変化による食糧生産量の減少を目の当たりにし、国際情勢、今ならロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けています。国際貢献活動もさまざまなことが起こる中で、その時々に必要な支援を見極め、行なっていくことはとても難しいだろうと思います。

 これまで多くの方が毛布を寄付してくださったり、実質的な労働を提供してくださったりしたことで運動が継続し、アフリカの人たちへ届けることができました。本当に素晴らしいと思います。一方、支援のかたちはいくつもあると思うので、いろいろな人や団体が今できることを一つひとつ行なっていくことで、アフリカをはじめ世界が少しずつ良くなっていくと信じています。

 私がJHPで学んだのは「できることからはじめよう」ということでした。その精神を今も大事にしています。また、自分の意見を持ち、発信することも大切だと思っています。「紛争は良くない」「学生時代の経験からこんなことが大切だと学んだ」ということを仲間や周囲の人に今後も話していきたいと思っています。そのつながり、広がりが世の中を良くしていくと思うからです。

 今は仕事が忙しく、社会貢献活動に直接的に参画できていません。自分のできる小さなこととして、地雷やクラスター爆弾の除去を行なう団体へ寄付をしています。かたちや場所は違っても、これからも皆さんと一緒に世の中を良くするための活動を続けることができたらと願っています。

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知人や親戚を心配するようにアフリカを思う

水畑貴嗣さん(岐阜県)

美濃加茂明るい社会づくり協議会として、中学生と一緒に毛布収集に取り組んだ(写真提供:水畑さん)

美濃加茂明るい社会づくり協議会として、中学生と一緒に毛布収集に取り組んだ(写真提供:水畑さん)

2010年、モザンビークでの配付活動(写真提供:水畑さん)

2010年、モザンビークでの配付活動(写真提供:水畑さん)

地元中学校で運動の広がり 人づくりの一助に

 運動がスタートした1984年、私は33歳でした。アフリカの人たちが飢餓に苦しんでいることと手を差し伸べる大切さを知り、毛布を購入して協力させてもらいました。以来、ずっと運動に関わらせてもらっています。

 私は立正佼成会の会員ですが、会を挙げて取り組んでいたこともあり、同世代の仲間とともに一生懸命に活動してきました。岐阜市内の一番大きな公園で大規模な収集活動をした時、いくつもテントを張ったのですが、仲間とともに会場の見張り役をしようとテントの中で一晩過ごしたこともあります。2010年には配付ボランティア隊に参加し、モザンビークを訪問しました。

 これまで運動に携わってきたなかで忘れられないのは、地元・美濃加茂市の2校の中学校との出会いです。10年くらい前ですが、美濃加茂明るい社会づくり協議会の会長を務めていた私は校長先生とお会いした際に「アフリカへ毛布をおくる運動」の説明をさせてもらいました。運動の趣旨に賛同してくださった校長先生から、学校として取り組みたいと申し出をいただいたのでした。

 「共生」という授業の一環として、全校生徒に運動の説明の機会をもらいました。運動の事務局の方を学校に招いて講演をしてもらったのですが、生徒さんが熱心に聞いてくださったのを覚えています。その後は生徒会の自主的な取り組みでした。自宅から毛布を持ってきてメッセージを作成し縫い付けたり、募金箱をつくって校内や街頭で輸送費の協力を募ったり。私としては、アフリカを支援したことが彼らの中学時代の良い思い出になってほしい、また将来、街で募金活動などに出合ったときに積極的に協力しようと思うような人になってほしい、そうした思いだけでした。2つの中学校での取り組みはコロナ禍になるまで続きました。また、岐阜県内の他の中学校でも展開されるようになりました。

 生徒さん、学校の先生方にはとても感謝しています。学ぶことの大切さ、信じてやってみる尊さを私自身が教えてもらったと思っています。中学時代の私を振り返ってみると、アフリカについてもよく知りませんでしたし、何か国際貢献をしていたわけでもありません。皆さんが熱心に取り組む姿勢を見て、とても頼もしく、嬉しく感じました。

地域の皆さんにも多大なるご支援、ご協力をいただきました。地元の新聞に運動のPRチラシを入れるととても反響がありました。旅館や施設から提供いただいたり、毛布がないから輸送費だけでもと寄付をいただいたり。運動を呼びかける私たちの仲間に加わってくださった人もいます。運動が多くの皆さんの人の役に立ちたい、行動したいという善意の受け皿になれた。私はそう受けとめ、携われたことに心から感謝しています。

「一食」を抜き、困難な状況にある人たちのために献金を

 配付ボランティアとして訪れた「モザンビーク」という国名をニュースで見たり、聞いたりすると、今も体のどこかが反応します。テレビであれば気になって録画することもあります。毛布を直接手渡した人の名前は分かりませんが、あんな人がいた、こんな人がいたという記憶が残っていて、「元気だろうか」「大丈夫だろうか」という思いがわき、祈りを捧げています。

 運動の終了は残念ですが、いずれそういう時期が来るかもしれないと考えていました。モザンビークで活動しながら、毛布を求めているすべての苦しんでいる人のうち、いったい何人に届けることができたのだろうと感じていました。また、現地である女性が7年前にもらったという毛布を私たちに見せてくれましたが、それは日本ではとうてい使用されない穴だらけのものでした。そこまで大切にして使ってくれているのが有り難いと感じ、一枚でも多く届けたいと思うと同時に、複雑な気持ちになったことを覚えています。アフリカの問題の深刻さと支援の難しさを痛感しました。

 私は立正佼成会の会員として月に数回食事を抜き、空腹感を味わうとともにその抜いた食事の代金を献金して世界各地の困難な状況にいる人々の支援に役立てる「一食(いちじき)を捧げる運動」をずっと続けています。一食運動の実践は私にとって喜びです。誰かのために少しかもしれないが役立たせていただいている。そう思えるからです。

 「アフリカへ毛布をおくる運動」が終了するいま、私は改めてこの一食運動の意義をかみしめています。献金によって集まった浄財は、緊急性の高い、また継続支援の必要な問題や地域のために役立てられます。私は今後も一食運動を実践し、さらに推進することが自分の役割だと思っています。

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モザンビークを訪問して触れた
厳しい環境と人びとの心の豊かさ

森香予さん(兵庫県)

2017年、配付ボランティア隊としてモザンビークを訪問(写真提供:佼成出版社)

2017年、配付ボランティア隊としてモザンビークを訪問(写真提供:佼成出版社)

立正佼成会神戸教会に寄せられた毛布。2020 年の活動から(写真提供:森さん)

立正佼成会神戸教会に寄せられた毛布。2020 年の活動から(写真提供:森さん)

毛布一枚の重み

 2017年に配付ボランティア隊としてモザンビークを訪問しました。

 大学生の頃から運動に携わってきましたが、実際に現地の人に毛布を手渡すという経験をとおして、本当に喜んでくださっていること、毛布がとても求められていることを感じることができました。

 一方で、配付活動中に申し訳ないような思いにもなりました。毛布の質に差があったからです。薄い毛布を渡された人が、上質のふかふかの毛布をうらやむような顔をしていました。当然だと思いました。また、過去に毛布をもらったという家族からは何度も洗濯して家族全員で大切に使っているという話を聞きました。

 それまでたくさんの毛布を届けたいと思って運動に取り組んできましたが、受け取る人の気持ち、またその一枚がどのように使われるのかについて深く思いを馳せていなかったことに気づかされました。地域の皆さんから善意で寄せていただく毛布ですが、提供を呼びかける段階で「質」についても伝えさせていただきたいと強く思ったものでした。

 配付活動の他に家庭訪問をしたり、話を聞かせていただいたりする機会がありました。皆さんが厳しい環境や条件のもとで生活されているのは事実ですが、そうした中でも、現地の人びとの精神的な豊かさを感じさせていただいたと私は思っています。

 あるご夫婦は「私たちの間には愛情があるから、とても幸せなのです」とおっしゃいました。両親のいない家庭では年長のお兄ちゃん、お姉ちゃんが一生懸命に弟妹の世話をしていました。幼稚園を訪ねた時には、私たち外国人の来訪者を前にして子ども同士が「静かにしよう」と声をかけ合っている可愛いらしい姿を見ることができました。また、どこへ行っても両親はもちろん、その場にいる大人たちが子どもをよく構ってあげている様子が印象的でした。物質的に豊かと言える日本はどうだろうと考えたことを覚えています。

最低限、いのちが守られるように

 もう一つ、私自身にとって大きな気づきがありました。それまですべての人のいのちは平等で、アフリカの人もその他の国の人も同じ人間同士、皆一緒だと思ってきました。立正佼成会でもそうしたことを勉強してきたつもりでした。しかし、ある現地の人と握手をし、ハグをした時、「ああ、この人も私と一緒だ」と感じました。それはしみじみと味わったというものではなく、じわっと気づかされたような感覚でした。

 私はその自分の感覚に驚き、とてもショックを受けました。「今まで、そう思っていなかったからなんだ」と考えたからです。どこかで国や肌の色の違いなど、どこかで自分と区別していたのかもしれません。握手やハグをしてその人の温もりを感じて始めて、「自分と同じ」だと気づけたこと。それは私にとってとても意味があり、大切な体験になりました。これから何事も他人事にしない努力をしなければいけない。そんな考えを持つことができました。

 帰国後、所属する神戸教会で、現地で感じたことや気づいたことを報告させてもらいました。ちょうど収集キャンペーン期間中の5月のゴールデンウィーク後でしたが、多くの方が協力してくださり、そこから5月末までの2週間で400枚の毛布を集めることができました。アフリカの人の役に立ちたいという仲間たちの思い、「ふかふかのきれいな毛布をいただいたよ」と声をかけてくださる温かい気持ちにとても感動しました。

 神戸教会では最終年の今年も運動を展開しています。毛布の収集に加え、集まった毛布が確実にアフリカに届けられるよう、輸送費の協力の呼びかけにも力を入れています。皆さんへ運動の概要を説明する担当をいただいたこともあり、改めてアフリカの現状を調べてみると、今また、歴史的な干ばつによって深刻な状況にあることを知り、胸が痛みました。日々の生活に追われて気づけていないことを悔い、同時に運動に関わることをとおして、そうした事実に気持ちを向けられることを改めて有り難く思いました。

モザンビークを訪れて、いのちが守られる大切さ、生きるために最低限必要な環境、衣食住などが整えられる重要性を強く感じました。今年で運動は終了しますが、毛布を届けるというかたちでの支援が終わり、次のステージに進むと受けとめています。最低限いのちを守るというための方法はいろいろあるだろうと思っています。今後も私のできることを続けさせていただきます。

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運動で深まった地域とのつながりを生かし
今後も社会を明るくする活動を

小林宏至さん(東京都)

2022年、品川アフリカへ毛布をおくる会の収集活動

2022年、品川アフリカへ毛布をおくる会の収集活動

小林さん(左)

小林さん(左)

間の当たりにしたアフリカの人々の厳しい生活

 「アフリカへ毛布をおくる運動」との出合いは2004年になります。

 2006年には配付ボランティア隊のメンバーとしてエチオピアを訪問しました。現地の皆さんの生活の厳しさを目の当たりにし、衝撃を受けたのを覚えています。旅行会社を経営している関係でアジアの国々を訪れていましたが、エチオピアはそれまで見たことのない光景、暮らしでした。印象的だったのはまず、家です。家と言っても土でできた「かまくら」のようなもので、その中にゴザを一枚敷いて寝ているということでした。一日の寒暖差が激しく、朝晩は気温が10℃以下まで下がってしまう現地の気候を考えると毛布が果たす役割の重さを感じました。その上、食糧不足により食事は取れても1食、もしくは2食ということを知りました。

 私は「アフリカへ毛布をおくる運動推進委員会」の構成団体である宗教法人立正佼成会の会員です。立正佼成会の会員は月に数回食事を抜き、その抜いた食事の代金を献金して世界各地の困難な状況にいる人々の支援に役立てる「一食(いちじき)を捧げる運動」に取り組んでいます。空腹感をとおして貧困や紛争下など困難な状況下にいる人々の苦しみを少しでも味わい、またそうした人々の平和を祈り、献金という具体的な行動を起こす運動です。

 当たり前に3食を取ることができる中で、月に数回「一食を捧げる運動」として1食を抜いている私です。毎日1食か2食しか取れない人たちを目の前にし、いかに自分の生活が恵まれているかに気づかせてもらいました。また、「衣・食・住」のうちの「衣」と「住」を毛布がある程度補えることを知り、毛布をおくることをとおしてアフリカの人たちを可能な限り応援したいと強く思ったものでした。

 一枚でも多くの毛布をアフリカへ。そう考え、帰国後も運動に励みました。10年前には「品川アフリカへ毛布をおくる会」を立ち上げ、東京・品川区が開催する社会貢献活動団体の活動を紹介するイベントにも参加するようになりました。区内のさまざまな社会貢献活動を行なう団体が一堂に会するものですが、来場者へのPRだけでなく他団体の皆さんと互いの活動に協力し合ったり、告知し合ったりしてきました。5年前には同イベントの実行委員長も務めました。

 近年ではSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を積極的に活用し、運動への協力を呼びかけています。品川区はマンションなど集合住宅が多く戸別訪問がなかなか難しい実状もあります。また昨年、一昨年のコロナ禍では戸建て住宅への訪問も控えたため、Facebookや地域ごとの情報掲示サイトなどでのPRに力を入れました。問い合わせや協力の申し出の連絡をいただいたら、訪問するというスタイルです。

収集日に行われたメッセージの縫い付け

収集日に行われたメッセージの縫い付け

遠いアフリカへ思いを馳せられるように

 これまでのPR活動もそうですが、運動について説明する機会をいただいた時に私が大切にしてきたのは「遠いアフリカの人々へ思いを馳せていただきたい」ということでした。目の前に困っている人がいたら大変そうだな、力になりたいと思うのはある意味自然なことかもしれません。目の前にいない、遠いアフリカで困っている人、苦しんでいる人のことをどのように感じてもらうか、心を寄せてもらえるか。それが大事だと考え、毛布を必要とするアフリカの現状と、私たちが毛布を送るだけではなく、心をおくる運動を行なっていることを一生懸命に伝えました。

 これは私自身にとっての実践でもあります。目に見えない世界、自分が直接的に触れることのできない世界や人々にどれだけ思いを寄せられるか。感性を磨くということだと思っていますが、運動をきっかけに少しはできるようになった気がしています。また、毛布を受け取りに行った際も、「毛布をもらいに来ただけの人」と思われたくなく、とにかく丁寧に誠意を持って「この人に毛布を託せば、アフリカの困っている人に毛布が届く」と感じてもらえるような出会いにしようと努めてきました。

 今年で運動が終了するのは大変残念ですが、前向きに捉えていこうと思っています。アフリカと縁をいただき、年々愛着が深まってきています。今後、どのようなかたちで関わっていこうか、今はそんなふうに考えています。また、振り返れば、運動を継続したことによって地域の皆さんとのつながりをたくさん持つことができました。長く運動に携わってきた皆さんもきっとそうだと思います。ぜひそうしたつながりを大事にして、違うかたちで地域を明るくするような取り組みをお互いさまにやっていけるといいのではないか。そんなふうにも感じています。

 お世話になった方に、Think Globally , Act Locally(地球規模で考え、足元から行動する)」と教えていただきました。応援する先はどこであれ、そうしたことを実現できる人が増えれば、より良い世の中になっていくと私は信じています。

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心に染みる宮沢賢治の言葉 世界の幸福のために自分のできることを

髙橋利之さん(秋田県)

反町さん

鹿角市で毛布の協力を呼びかける秋田県北明るい社会づくりの会のメンバー(写真提供:髙橋さん)

スタッフが書いた毛布用メッセージとイラスト(右)

大館市内での収集活動(写真提供:髙橋さん)

活動歴38年 運動スタート年から参加

 私は現在、秋田県北明るい社会づくりの会の事務局長を務めています。「アフリカへ毛布をおくる運動」は同会の事業の一つとしてこれまで取り組んできました。

 昨年、一昨年は新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、収集キャンペーンは実施できませんでした。そして今年、コロナ終息の目処が立たない中で、運動の終了が決まりました。私たちは、収集活動の実施を検討する前に、何をおいてもこれまで協力してくだった地域の皆さんに感謝を伝えようと確認しました。話し合いを重ねているうちに「だったら収集活動もやるべ!」となりました。現在、活動の真っただ中です。

 今年は運動事務局から提供いただいたチラシのほか、これまでの協力への感謝を綴ったオリジナルのチラシを作成し、2枚セットで地域の皆さんにお渡ししています。また、過去に輸送費の説明が不足していたことがあったので、これについてもチラシに丁寧な説明を記載しました。最後だからこそ正しく分かりやすく伝え、「協力したい」「何か役に立つことがあれば」というたくさんの人の思いをしっかり受けとめさせていただきたいと考えました。

 振り返れば、私自身が運動と出会ったのは37歳の時、運動がスタートした1984年です。先輩に誘われて手伝いをしたことがきっかけでした。たくさんの先輩方の願いを受け継がせていただいて現在に至ります。初めアフリカは暑いところというイメージしかなく「なぜ、アフリカに毛布?」と思ったものです。干ばつや貧困などで多くの人が厳しい状況にいることを学び、気の毒に思いました。

 収集活動への気持ちをさらに奮い立たせてくれたのは、配付ボランティア隊として現地を訪れた親しい先輩の話でした。運動に取り組んで数年が経った頃だったと思います。貧困下にある生活、毛布を受け取った人のとても嬉しそうな様子、毛布を受け取るために何時間もかけて歩いてきた人がいたこと、希望するすべての人に配付できなかったこと。また、気温の寒暖差が激しいアフリカでは毛布が日除けや寒さを凌ぐためにも使われ、一軒の家に相当する価値があるなど、先輩が見てきたこと、聞いてきたことを分けてもらいました。

ボランティアグループの仲間たちと(写真提供:佼成出版社)

北秋田市鷹巣でのメッセージ縫い付け作業(写真提供:髙橋さん)

最後の収集キャンペーン
全国の仲間と お互いに「よくやった」言い合えるように

 一枚の毛布の価値を知った私は〈これは一枚でも多く毛布をおくらなくてはいけない〉と思いました。そして、同じ志を持った仲間とともに地域で運動を展開することにしました。秋田県大館市の広報誌や新聞に掲載すると、本当に多くの反響をいただきました。協力してくださる皆さんの気持ちが温かく、胸が熱くなりました。

 私は子どもの頃、祖母から繰り返し「人の役に立ちなさい」「人の喜ぶことをしなさい」と言われて育ちました。私なりに心がけてきたつもりですが、皆がそうした同じ気持ちや考えを持っていて、一緒にアフリカの人たちの幸せを願って行動していると思ったとき、とても嬉しく有り難く感じました。出会った人たちと「アフリカの人もきっと喜んでくれますよね」と言葉を交わしていたことを覚えています。長い間、一緒に取り組んだ仲間はもちろん、毛布を提供してくださった人たちと出会いをいただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 運動が終わるのはやはり寂しいものです。確かに今の時代に毛布をおくるという支援が最善なのだろうかと考えたこともありましたが、毛布が欲しくても手にすることができない人がいることを想像すると可哀想でなりません。また、今まさにロシアによるウクライナ侵攻が行なわれています。宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉が心に染みています。

 私は仕事を退職後、町内会長も務めています。私たちの地域は何か困りごとがあれば町内会長に連絡するといった習慣があるのですが、特に私の町内は高齢の方が多いため度々電話をいただいています。しかし、連絡をくださるから安否を確認できます。手伝いに伺って元気な、また喜ぶ顔を見ると安心し、嬉しくなります。アフリカの人も町内の人も同じです。元気なうちに人の役に立てること、人に喜んでもらえることをさせていただくつもりです。

 最後になりますが、長年一緒に運動に取り組んできた全国の皆さんにも感謝を伝えたいです。皆で頑張って、一年間に10万枚を超える毛布を収集したこともありました。本当に懐かしく思います。今年の収集活動が終わったとき、全国の皆さんと、お互いに「よくやったよね。ご苦労さま」と言い合えるよう、最後まで精いっぱい取り組みます。

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多くの人の“善意”の受け皿として働ける喜び

反町里江(りえ)さん(埼玉県)

反町さん

反町さん

スタッフが書いた毛布用メッセージとイラスト(右)

スタッフが書いた毛布用メッセージとイラスト

スタートはボランティアスタッフの募集から

 15年前に「アフリカへ毛布をおくる運動」のボランティアグループを立ち上げ、埼玉県入間市のイルミン(市民活動センター)に登録しました。それまでも運動に協力したことはありましたが、アフリカの現状を深く知るにつれ、地域の皆さんにより一層協力を呼びかけたいと思ったことがきっかけです。

 近隣のお宅を訪ねることから始めました。アフリカの現状を説明し、道路に面した塀にポスターの掲示や毛布の提供をお願いするとともに、「ボランティアスタッフも募集しています」と伝えました。地域の新聞やケーブルテレビにも取り上げていただきました。善いと思ったらすぐに行動する。正しいことは必ず人さまに伝わる。そう信じ、積極的に動きました。

 ボランティアスタッフは60代、70代の女性が中心で、長く携わっている人も少なくありません。初めて連絡をくださるときには、多くの人が自身の半生と社会貢献への思いを語ってくれたものです。体調を崩しがちだったり、定年退職や伴侶を亡くしたことによって喪失感を抱えたりしている人もいました。そうした皆さんがアフリカの人たちに思いを寄せ、「自分のできることで役に立ちたい」と勇気を出して電話をくださったことがとても嬉しく、有り難いと感じました。また、たくさんの仲間に出会うことで私自身が勇気を与えてもらいました。

 収集キャンペーン期間中は、広報活動に始まり、日時を変えて複数カ所、多いときには10カ所に収集会場を設けました。連絡をいただけば県内各地にも伺ったものです。並行して定期的に市の無料の施設を借り、毛布の修繕やメッセージの縫い付けなどを行ないました。お昼をはさんでの活動ですから各自お弁当を持参し、それぞれが得意な分野を担当して楽しく活動してきました。

ボランティアグループの仲間たちと(写真提供:佼成出版社)

ボランティアグループの仲間たちと(写真提供:佼成出版社)

“毛布”がくれた出会い、経験が宝物

 地道な活動でしたが、通年の取り組みとしていたこともあって、ここ1年間に1940枚を収集させていただきました。印象的なのは、ほとんどの方が「協力させてください」という言葉を添えてくださったことです。皆さんの“善意”の受け皿として働かせていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 私自身、運動をとおして学びや貴重な経験もさせていただきました。ボランティアグループを立ち上げる前ですが、環境問題をテーマにした市のクリーンセンターの職員による講演会に参加し、新品や新品に近い状態の毛布がごみとして捨てられていること、また毛布を処理するには裁断や焼却など多額の費用がかかることを知りました。講演終了後、すぐさまその職員さんのもとに駆け寄って私たちの活動について説明し、毎月1回、状態の良いものを回収させていただけることになりました。現在も、1年間に2000枚以上の毛布がごみとして収集されているそうで、以前より減ったものの環境問題の観点でとても残念に感じています。

 アフリカ諸国の課題や支援のあり方をテーマにした国際会議などにも数回参加しました。地域のお寺で運動について講演する機会をいただいたこともあります。振り返れば、本当に多くの皆さんと出会いをいただき、たくさんの学び、喜びを得ることができました。

 運動が終了することはとても残念です。スタッフとは、地域の皆さんや施設を貸してくださる皆さんにこれまでの協力への感謝と、毛布収集は今年が最後ということをしっかり伝えていこうと確認しました。高齢メンバーが中心のせいか、市役所の職員さんからは趣味のサークルなどにかたちを変えて活動を継続することを勧められました。しかし、スタッフからは「ここに参加するのは人の役に立ちたいから」と社会貢献への思いが語られ、心強く、嬉しく感じました。今後、どのような活動に取り組むかについては皆で検討しているところです。

 思えば、苦労したことが一つだけあります。それは洗濯した毛布を物干し竿に干すことです。汚れのある毛布は我が家ですべて洗濯していたのですが、私は身長が低いため、干すのにとにかく骨を折りました。洗濯用洗剤の購入費や水道代、電気代に驚いたことも、毎日毛布を洗うため洗濯機が壊れたことも良い思い出です。〈ああ、この一枚がアフリカの誰かを喜ばせてくれる〉。いつもそんなふうに考えて、これまで一つひとつの取り組みに心を込めさせていただいてきました。

 “毛布”がくれたすべての出会い、経験が私の宝物です。

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多くの人とのつながりと命の尊さを学んだ「アフリカへ毛布をおくる運動

靍田啓二さん(山梨県)

2014年の取り組みから。甲州市民文化会館に設置した収集会場(写真提供:佼成出版社)

2014年の取り組みから。甲州市民文化会館に設置した収集会場(写真提供:佼成出版社)

市民運動化を目指した20年

 私が「アフリカへ毛布をおくる運動」に本格的に取り組み始めたのは、ちょうど20年前の2002年からです。アフリカの現状や運動の目的を考えたとき、地域社会の多くの人々と一緒に取り組みたいと考え、社会活動に熱心だった先輩や仲間とともに「アフリカへ毛布をおくる運動 峡東地区推進委員会」(任意団体)を立ち上げました。

 一人でも多くの方に運動を理解し参加していただくため、誰もが知っている公共施設に収集会場を設置しようと、甲州市民文化会館と山梨市役所の2カ所にお願いしました。広報活動は青壮年男性によるオリジナルチラシの配布に始まり、広報車での巡回、テレビやラジオ・新聞など、メディアからの取材・出演に力を注いできました。

 最も反響があったのは、地元、NHK甲府放送局のニュース番組への出演です。地域イベントをPRする生放送のコーナーに、学生など若者たちが出演したその効果は絶大で、広く県民の皆さんへ知られるようになりました。

 それと同時に、皆さんからの問い合わせが多くなり、経営している会社に事務局を設け、社員が電話対応や当日会場に届けられない毛布の受け取りなどにも協力させていただきました。

 また、会社を通じて取引のある山梨中央銀行にも協力をお願いしました。銀行の店舗ロビーに、収集キャンペーン中の5月の1カ月間、アフリカを訪れた配付ボランティア隊の活動を伝える写真を展示してほしいとお願いしたところ、快諾していただき、国際貢献活動として数店舗で写真展を行なっていただけることになったのです。

 写真展の開催が10年を超えた2014年には、ケニアのNGO(非政府組織)「アフリカ開発緊急機構」のべナード・ウェソンガ事務局長らが同行本店や支店を表敬訪問されました。この訪問は多くのマスコミの注目を集め、銀行の皆さんも大変驚かれ、光栄に思ってくださいました。以降、以前にも増して、写真展の準備から収集会場の提供まで、積極的に協力してくださっています。

ケニアのNGO(非政府組織)「アフリカ開発緊急機構」からウェソンガ事務局長らが山梨中央銀行本店を訪問。写真右から2人目が靍田さん(写真提供:靍田さん)

ケニアのNGO(非政府組織)「アフリカ開発緊急機構」からウェソンガ事務局長らが山梨中央銀行本店を訪問。写真右から2人目が靍田さん(写真提供:靍田さん)

最終年は「ありがとうキャンペーン」に

 20年を振り返ると、運動が本当にものすごい勢いで広がったなと感じずにはいられません。スタート時、峡東地域2カ所だった収集会場は協力する個人や団体も増え、新型コロナウイルス感染症の拡大前には山梨県下全体に広がり、9カ所になっていました。運動に関わる人々がアフリカを知り、一枚の毛布により、何かに目覚めたのだと思います。事務局への問い合わせも一年を通じていただくようになっていました。

 運動がこれほどまで広がった理由について、私は「アフリカへ毛布をおくる運動」が単に毛布をおくることのみにとどまらず、私たちの想いを届ける運動に発展したからだと思っています。それは、この運動が誰でも参加、協力できる運動であり、毛布や輸送費の提供はもちろん、毛布へ添えるメッセージやイラストを描き、そのメッセージを縫い付け、さらには毛布の運搬や梱包作業など、老若男女それぞれが、世代を超えて役割を担うことができることです。皆の「アフリカの人の役に立ちたい」という想いを、自分にできるカタチで、行動につなげることができたからです。

 なかでも、とても印象に残っている出会いがあります。あるとき、赤ちゃんを抱いたお母さんと娘さんが毛布を持って収集会場に来られました。お母さんは「この子が生まれた記念に何か善いことをしたい」と参加の理由を語ってくれました。新しい命の誕生という証にこの運動を選んでくださったことを知り、心が熱くなりました。

 「毛布をおくってアフリカの人々に希望を届けたい」とスタートした取り組みですが、私自身が毛布を通して命の尊さや、たくさんの希望と勇気を与えていただいたと感じています。今年で運動は終了しますが、アフリカはまだまだ厳しい状況が続いています。これからもアフリカの人々の幸せを祈る気持ちに変わりはありません。アフリカに限らず、違った運動や活動で私たちの想いをカタチにする機会があるでしょう。そのときは地域の人々の善意の受け皿となれるよう、この経験を活かしたいと考えています。

 今年のキャンペーンを、私たちは「ありがとうキャンペーン」と位置付けています。私たちにアフリカの人々とつながる機会をいただいた運動に感謝。一人ひとりの願いの詰まった毛布をお持ちくださった皆さんに感謝。そして、私たちの想いを受け入れてくださったアフリカの人々に感謝です。

 多くの人とつながることができた「アフリカへ毛布をおくる運動」に関わることができたことの誇りを胸に、最後の収集キャンペーンに取り組ませていただきます。

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心を揺さぶられたアフリカ訪問

峯坂光重さん(秋田県)

2017年、配付ボランティア隊として活動したモザンビーク(写真提供:佼成出版社)

2008年、配付ボランティア隊として活動したモザンビーク(写真提供:佼成出版社)

配付ボランティアとしてモザンビークへ

 2008年に「配付ボランティア隊」としてモザンビークを訪問しました。「アフリカへ毛布をおくる運動」に携わって30年くらいになりますが、いつか現地を訪れて直接毛布を手渡したいと思っていた夢が叶いました。

 現地を訪れたかったのは他にも理由があります。知人の大学生が配付ボランティアに参加したのですが、帰国した日の様子が印象的でした。仲間が用意した日本茶とお赤飯を前にして、ポロポロと涙をこぼしていました。疲れや帰国した安堵もあったかと思いますが、表情は明るいものではありませんでした。アフリカの現状を目の当たりにしてショックを受けたのだろうか。いつか私も彼女が見た風景を見てみたい。そんなふうに思ったのです。

 モザンビークを訪れた年は、世界的に原油価格が高騰していました。出発直前、現地でもその影響で暴動が起きていて、状況によっては経由国で待機する可能性があることを知らされました。入国できたものの、暴動の様子や、バス代が値上がりして子どもを学校に通わせることができない、タクシードライバーが車を走らせることができないといった今まさに起きている話を聞き、日本の暮らしとの違いに大きな衝撃を受けました。

 配付活動が始まると、毛布を手にしたり、胸に抱いたりして喜んでいる様子を見たり、過去に毛布を受け取った人のお宅を訪問したりするなかで、〈毛布が役に立っている〉と感じることができました。一方で、私たちを待っている配付予定枚数をはるかに超える人々の姿や毛布梱包用の紐でいいから欲しいという声などに困惑しました。毛布を受け取った人は無事に家に帰ることができるだろうか、毛布を巡って争いが起きてしまうのではないだろうか。そんなことも考えました。

 配付活動中は喜びやそれとは違う感情、考えなどが交錯する毎日でした。知人の大学生が見た風景、感じた思いはこういうことだったのだろうかと想像したものです。また、毛布を求める人の多さに、渡せた、渡せなかったということばかりにとらわれ、「共に生きる」という運動の願いを忘れていた自分に気づき、苦しくなったこともありました。

 そうした気持ちで迎えた最終日。毛布を届けたのはアクリディックというキリスト教の精神をベースにしたNGOが支援する貧困に苦しむ人たちでした。このコミュニティの皆で毛布を受け取る人を相談して決めたという説明を受けました。多くの人が集まっていましたが、毛布を受け取った人を皆が温かく見守り、時には抱きかかえて祝福していました。私たちが帰るときには、無事帰国できるようにと祈りを捧げてくれました。他者のために祈るその姿に言葉で表現できない感動を覚え、運動の願いを改めてかみしめました。

新潟県長岡市東川口の皆さんとの収集活動。前列右端が峯坂さん(写真提供:峯坂さん)

新潟県長岡市東川口の皆さんとの収集活動。前列右端が峯坂さん(写真提供:峯坂さん)

市民の真心で運動が展開

 ボランティア活動に限らず、これまで運動に携わってきたことを振り返ってみると、「アフリカへ毛布をおくる運動」はいつも私の心をさまざまに動かし、学びや気づきを与えてくれました。また、単に毛布をおくることを重視するなら、一企業が行なったほうがきっと効率が良く、確実です。しかし、私たちの運動は市民に呼びかけ、市民が応えています。アフリカで困っている人がいる。その事実に多くの人が心を動かされ、行動に移していると思うのです。まさに真心であり、運動に込められた願いがかたちになっていると感じています。

 以前暮らしていた新潟県長岡市東川口は、2004年の新潟県中越地震で大きな被害にあいました。地域の皆さんに毛布の提供をお願いすると、「地震のときにいろいろな人にお世話になったから自分のできることをしたい」と快く協力してくれました。協力を呼びかける側の私たちも、そうした地域の皆さんの気持ちにさらに心を動かされ、自分ができることは何だろうと考えたり、アイデアを出し合ったりして一層の運動の推進に励んだものです。

 今年の収集キャンペーンで運動が終了するのはとても残念です。しかし、いつの日かかたちを変え、互いのために祈り、行動するという「アフリカへ毛布をおくる運動」の精神が引き継がれる、新たな取り組みがスタートすることを願っています。

 最後に、運動を運営してくださったJBACの皆さま、また私たちとアフリカの人々をつないでくださった現地NGOの皆さまに感謝を申し上げます。多くの人が携われる運動を展開してくださり、本当にありがとうございました。

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#アフリカと私

後輩から女豹と呼ばれる私

東京都

私の苗代「アフリカへ毛布をおくる運動」

私の苗代「アフリカへ毛布をおくる運動」①
私の苗代「アフリカへ毛布をおくる運動」②
私の苗代「アフリカへ毛布をおくる運動」③
私の苗代「アフリカへ毛布をおくる運動」④

大好きな運動でした。「アフリカの人のために毛布をおくる。」シンプルでわかりやすいこの目的に託された背景はとても深く、人を育てるための要素が詰まっているなーと感じていました。

私自身、学生時代は「誰かを思う」ことに気づかせてもらい、青年時代は毛布を通じてお隣さんやご近所とつながる機会を作ってもらいました。アフリカに毛布をおくる運動が私を育ててくれた! 大袈裟ではなく、心底そう思っています。

私は幸運にも、アフリカ現地で毛布を必要な人たちと触れる機会が数回ありました。日本人の私にとっては「たかが毛布」。けれど、現地では【毛布】のチカラに驚かされることばかり。まさに「されど毛布」でした。

生活も文化も宗教も異なるアフリカ人と日本人を、毛布は、あっと言う間に互いの距離を縮めてくれました。また、生活をのぞき見させていただいた時は、家族みんなで1枚の毛布にお行儀よくくるまって眠っていました。

思わず、寝相の悪い私は、日頃の毛布の使い方が恥ずかしくなったことを忘れる事はできません。日頃の自分の姿まで見つめさせてくださったアフリカへ毛布をおくる運動に感謝し、育ててもらった恩返しになるよう、私オリジナルにこの運動をカスタマイズし、継承して参ります。

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ロング

山口県下関市

気づきをくれる毛布の運動

毛布に漢字で書かれたメッセージ

我が家では、父の代からこの運動に参加していて、晩年まで、グランドゴルフの仲間にも、声をかけていました。また息子はアフリカに届けるお役を頂きました。親子三代にわたり、世界の平和に関心を持ち、足元の実践をする機会を頂いた事に、深く感謝いたします。

ところで、この間ずっと、私は、メッセージは、シーツ等の白い布を四角に切り、英語で書くものと、思い込んでいました。ところが、この最後の年になって、アフ毛ちゃんねるを見ていて、ハッと気付きました!

「ピンクや、ブルーのハンカチでも良いのだ。むしろ、可愛い。そして、Japanese KANJIは、カッコいいと、喜ばれるに違いない。私達がアルファベットをカッコいいと思い、洋服のデザインに使ったりするように、海外の人達から見れば、漢字にはエキゾチックな魅力がある。これが文化交流の楽しさだ!」そこで、最後の毛布は、写真のようにしてみました♪

いつも何かの学びをくれたこの運動が、次は、異文化理解等のステップに入ろうとする今、世界は、ウクライナだけに止まらず、歴史的転換期にあります。ますます、共に生きるという、この運動の精神が大切になっています。この学びを忘れず、祈り、行動したいと思います。

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原田敏子

山口県周南市

23年前、毛布配付ボランティアとしてマラウイへ行きました。1月の半ば出発で2週間の行程でした。日本では真冬。ボランティア隊の中にインフルエンザにかかっている人がいたらしく、2週間の間に少しずつ感染していきました。

高熱でマラウイの病院へ行った方がいました。診察の間配付は中止し他の人達は待っていましたが、失礼な話ですが、この国の病院で大丈夫なのかとみんな心配していました。診察が終わり処方された薬を見ると日本の1.5から2倍の大きさでびっくりしました。お医者さんはヨーロッパから来られている方だったそうです。

マラウイでも医者を目指す方がいるけれど、ヨーロッパの学校や病院で研修すると、収入の面から自国へ帰って来る人は少ないそうです。そんな面からも貧しさから抜け出せない理由があるのだと感じました。

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桜男

石川県金沢市

毛布への思いを痛切に感じた体験(エチオピア)

石ころだらけの道をあるく人々
毛布を受け取るために並ぶ人の足
毛布の受け取り
サムレ村役場で待つ人々

毛布が配られる村役場まで、石ころだらけの道を歩く人々。何時間も歩いてきた方の足の皮は、厚くひび割れていた。

私は、1996年12月にボランティア隊として、エチオピアを訪問しました。そこで体験したことを本当に驚きと感激の連続でした。

最初の配付場所であるサムレ村に着いた時、強烈な暑さの中、何時間も待ちわびた方が大勢おられました。炎天下で石ころだらけの道を何時間も歩いてきた方の足の皮は、厚くひび割れていました。最初にインタビューした老人は、朝4時に起きて6時間かけて歩いて来たと話されました。

また、ある小柄な老婆に私が毛布を背中に掛けてあげたのですが、その瞬間に地面にへたり込んでしまったのです。一瞬、毛布の重さからか空腹で倒れたのかと驚きましたが、その老婆は膝まずいて、足の甲にキスをされ最敬礼の謝意を示して下さいました。驚いた私は、すぐに自分も地面に正座して、思わず「こちらこそどう致しまして」と口走り、頭の何度も下げました。

現地の方の毛布への想いを痛切に感じた1週間でした。

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河面誠子

広島県

遥かなるいとしのマラウイ

遥かなるいとしのマラウイ①
遥かなるいとしのマラウイ②
遥かなるいとしのマラウイ③
遥かなるいとしのマラウイ④

なんということでしょう!HIROSHIMAの毛布が海を越えてマラウイに届いていたのです。その場で毛布を抱きしめました。

アフリカへ毛布を送る運動として遥かなマラウイをおとずれたのは2001年1月のこと日本は冬の真っ直中でした。初めてのアフリカでは、優しくあたたかな人々との感激の出会いが、私たちを待っていました。

広い野原が会場となりステージにもなって老いも若きも天真爛漫。歓迎の輪が広がっていきます。しかし、毛布は貴重なものであり簡単には手に届かず、あきらめた人もいます。私はお役をいただいて老人の肩に毛布をかけながら元気で幸せにと祈らせて頂きました。また、移動する私たちのバスを最後まで見送ってくれた子供たち。ありがとうと伝えたいです。今、どんな成年になり、どんな生活を送っているでしょうか?

アフリカには何年たっても忘れられない光景があります。

人のやさしさ、大自然の脅威です。マラウイを思い出すたびに私の心のおだやかさがわいてきます。遠く遥かなアフリカに行かせていただいたこと、ありがたく感謝しております。

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厚木教会壮年部

神奈川県厚木市

喜びの多かった「アフリカへ毛布をおくる運動」の活動

喜びの多かった「アフリカへ毛布をおくる運動」の活動①
喜びの多かった「アフリカへ毛布をおくる運動」の活動②
喜びの多かった「アフリカへ毛布をおくる運動」の活動③
喜びの多かった「アフリカへ毛布をおくる運動」の活動④

5/15の青年の日に合せ最後のアフリカへ毛布をおくる運動の活動となる梱包作業を行いました。これまで、立正佼成会厚木教会では長年にわたりこの活動を実施してきましたが、近年では壮年部が中心となって活動を進めてきました。

当日は、不慣れな針仕事ではありましたが、壮年部員がメッセージの書かれた布を一枚ずつ丁寧に縫い付けており、その姿からは心を込めてしっかりと毛布をおくらせていただくとのアフリカの方々に対する思いが伝わってきました。

また、梱包作業の終了後には、アフリカへ毛布おくる運動の集大成として、壮年部員の代表者からユーチューブ配信による報告をしました。

そのなかでは、この運動を広めるために、地域のお宅一軒一軒を訪ね趣旨をお伝えし毛布の提供をお願いする中で、快く趣旨に賛同し毛布を提供してくださる方々との出会いがあり、そうした方の笑顔に支えられ、頑張ってこの活動をしてきて良かったと実感できる大きな喜びを得られたことなどが伝えられました。

なかには、会社の関係者に出会う人もいて、仕事上の関係だけでは得られない社会貢献活動の実践者としての人となりを理解いただいたとの報告もありました。このように、この活動を通して私たちはいつしか多くの喜びをいただいていたことに気づかされたのです。

今年で、この運動が終わってしまうのは寂しいとの声が何人もの仲間から聞こえてきます。そこで、最終年、最後の取り組みとして、そうした思いを毛布とともにアフリカの方々、現地で毛布の配付に携わりこの運動を支えてくださった団体の方々に向けて、この運動に出会えたことへの感謝と、活動の喜びをお伝えしたいと考えています。

6月いっぱいをかけて取りまとめ、アフリカの方々へ私たちからのメッセージをお届けしたいと願っています。

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水坂起代子

広島県

私が「アフリカへ毛布をおくる運動」に初めて参加させていただいたのは森繁久彌さんが会長として提唱された時です。学生時代のクラスメートに声がけしながら、集まった毛布を我が家だけでは間に合わず、コインランドリーで洗濯しては収集場所となっていた立正佼成会の教会に持っていきました。(笑)

その後、当時「青年の日統一行動」で毛布を2000枚目標として青年たちが毎晩、仕事が終わってローラー作戦で団地を回り「立正佼成会青年部です!」と頭を下げながら「趣旨」を説明して歩きながら毛布を収集しました。対外に向けてはテレビのお知らせ番組に出たり、広島市のNGO団体の方々に一人ずつ、丁寧に説明にあがったりしました。人見知りの私や青年たちにとっては、いつも冷や汗、ドキドキの毎日でした。気がついてみると、集まった毛布は5000枚余り、もちろん一般の方々にも、ご協力頂き支えていただいたお陰です。

この体験によって、自分達だけでも「やればできる」という自信がついたと思います。毛布のお陰さまで貧困、飢餓等は、決して遠い国のことではなく、私たちの豊かさの裏にあり、つながっていることも、改めて学ぶことができました。そして、アジアとの交流をされている広島市のNGO団体の方々と共に学び活動をするきっかけになりました。

1990年代を駆け抜けました。2000年青年部創部50周年を記念して広島県5教会の有志により、HRCP(ヒロシマ宗教協力平和センター)を設立し、翌年NPO法人として現在に至っています。当時、NGO連絡会議の代表者で、日本キリスト教会牧師の荒川純太郎さま初め多くの方に支えていただきました。「アフリカへ毛布をおくる運動」クロージング企画をお伝えしたところ、

共生庵 主宰 荒川純太郎さま
HRCP 理事長 上田知子さま

よりコメントを頂きましたので、ぜひご覧ください。

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主宰 荒川純太郎

共生庵

本当に長い間継続され実に多くの方々から協力を受けられ、膨大な量の毛布をアフリカに送り続けてこられたことに改めて感動しています。最初にあの大きなポスターを拝見した時とても素晴らしいと感服しました。敬意をこめて、長い間共生庵のゲストハウスの壁に掲げて来訪者に見ていただきました。とても素敵なプロジェクトで日本国内とアフリカとの双方の交流と連帯の意識が育てられたことでしょう。

私はボルネオ島の東マレーシアサラワク州の先住民族イバン教会支援のため4年間滞在していました。日本の教会婦人たちに呼びかけて古着リサイタル衣料を送り続ける運動をわたしたち家族が現地滞在中4年間続けました。イバン教会では女性が中心になりバザーを開き彼らの活動資金を捻出していました。

二束三文の衣料を高い郵送料や手間暇をかけてやることにどんな意味があるのか問われながら続けました。現地ではその無駄と思われるような労苦が現地の最貧層の人たちに、何倍にもなって多くの恵みと気付きを与えられたことを実感したものです。

私たちの小さな休眠衣料寄贈、送付運動を考えると、皆様が協力された貴重なご奉仕はどんなに素晴らしい大きな影響を双方が受けられたかと想像することができます。企画し一枚一枚メッセージと名前を縫い込まれた愛はアフリカに文字通り暖かい宝になり、肌身にしっかりとうけと得られたことと思います。

この度この取り組みに区切りをつけられるとのこと本当にご苦労様でした。そして心からの熱い拍手を持って「ありがとうございました!」

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理事長 上田知子

HRCP

HRCP活動写真

NPO法人ヒロシマ宗教協力平和センター(HRCP)では、平成12年から平成24年まで”ひろしまフラワーフェスティバル”の会場などで、パネル展を行いました。市民の皆さんにアフリカの現状を知っていただき、子どもたちがアフリカで毛布を受け取る人たちのことを思いながらメッセージを書いてくれました。たくさんの方々と平和を思うことができる楽しいひと時でした。

また、平成16年にエチオピアのティグレ救援協会のお二人を広島平和公園にご案内した時、私たちに絵をくださいました。その絵は、エチオピアの女性が植物の葉で大きな丸いテーブルを編んでいるものでした。「このテーブルに世界中の人たちが並んで座って、笑いながら同じものを食べることができる世の中になってほしい」と語られたことは今でも忘れられません。平等で平和な、笑顔あふれる世界になりますように願っています。

立正佼成会秋田教会

秋田県秋田市

撮影年:2022年5月

松井規泰

広島県

1996年12月 アフリカへ毛布を送る運動 タンザニア・ルワンダ隊参加

撮影 1996年12月 タンザニア国カゲラ県ガラ地区 ルコレ難民キャンプ

毛布駅伝1つの節目をむかえるのですね。青年の日にて、青年部で、アフリカへ毛布を送る運動に参加させて頂きました。ひとりひとりに呼びかけ頂いたと同時に、地元のTV番組の「あなたのニュース」にて毛布収集を広く呼びかけ沢山の毛布が集まりました。

私は3グループのうちタンザニア・ルワンダ隊の配布に加わり、タンザニアには無事に毛布をお届けする事が出来ましたが、もう1つの配布国ルワンダは、隣国ザイール(現ゴンゴ)で内乱がおこったため、入国配布が出来ず悔しい思いもしました。

国際情勢の不安定さを肌で感じ、微力ながらでも運動を続ける意義を知ることになりました。又NGO・現地のスタッフ、難民の方々、事務長、参加の仲間たち、支えてくださった多くの人たち、有り難う御座いました。(元気してるかな?)

縁は異なもの味なもの、たがが毛布されど毛布 毛布駅伝は1つの終わりをむかえますが、1つの旅はあたらしい華を咲かせています。皆さまの前に 旅に終わりはありません。

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足立教会舎人支部

東京

足立教会舎人支部 アフリカ毛布活動写真 足立教会舎人支部 アフリカ毛布活動写真

コロナ禍でなかなか身動き出来なかった時に、職場の施設の建て替えに伴い、たくさんの毛布の行き先に困っているとの連絡を頂きました。普段からアフリカへ毛布を送る運動に、意識を持って取り組んでいたので、こんなお話を頂いたことに、感謝でいっぱいになりました。
しかも約150枚ほど頂けました!みんなで感染にきをつけながら運んだことは、ちょっと疲れましたが思い出になりました。

小川さん

千葉県船橋市

私にとって「アフリカへ毛布をおくる運動」に参加させていただいたことは、学生時代サークル活動に一生懸命だった自分を思い出させてくれる体験でした。実行委員として若い方々と♡多くの人に自分が役に立てる喜びを知ってもらいたい、人を思いやる気持ちを分かち合う♡との思いで何度となく会議を重ね、手作り学習会を開催したり、公共掲示板を利用した宣伝、地域でチラシを配るPR活動、また戸別訪問しての回収での心あたたまる方々とのふれあい、「アフリカの新たなビジョン」のシンポジウムへの参加、不器用な手つきで(なかなか慣れなくて苦労しました)毛布一枚一枚にメッセージの縫い付け、etc.
この毛布たちがアフリカの地で大活躍してくれることを願い、自分自身もその毛布のぬくもりを心から感じさせていただきました

カンタさん

東京

10年以上前ですが、フォコラーレの友人(イタリア人)が日本に遊びに来ました。私が仕事で一緒にいられないときがあり地元の教会でお世話をして頂きました。ちょうど教会では、アフリカへ送る毛布メッセージを付ける作業をしていたので、彼女は持ち前の芸術的センスを活かしてキレイなメッセージを沢山書いてくれました。彼女は役に立てたこと、日本人の青年と交流が出来たことに喜んでいました。また教会の方もイタリアの友人が出来たこと、諸宗教で運動に取り組めたことに喜んでいるようでした。