特設サイト
トップへ戻る

みんなの声

収集キャンペーンや配付ボランティア隊など、これまでさまざまなかたちで運動に携わった方にメッセージを寄せていただきました。

運動のエピソードと写真を大募集!

2022年アフリカへ毛布をおくる運動の最終年にあたり、皆さまと一緒にキャンペーンをつくる投稿企画を行います。
第一弾は、アフリカへ毛布をおくる運動に関するエピソード、または、写真を募集いたします。
投稿された内容は、クロージング特設サイト「みんなの声」のページに順次掲載いたします。(掲載は4月1日以降)
アフ毛の思い出を振り返り、一緒にラストイヤーを盛り上げましょう٩( ‘ω’ )و

【募集内容】

①エピソード

・投稿者名(ハンドルネーム可)、お住まいの地域(例:東京都)を、併せてお送りください。

・400字以内でお送りください。写真の添付も歓迎します◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡

「運動を通して、こんな出会いがありました」とか、「毛布を贈る時に、こんな気持ちになりました」、「ボランティア隊に参加して、こんな経験をしました」など、エピソードをお寄せください。

②写真

・投稿者名(ハンドルネーム可)、お住まいの地域(例:東京都)、撮影年、撮影場所を、併せてお送りください。
おくった毛布やメッセージ、収集活動の様子など、運動にまつわる写真であれば、どんなものでも結構です。

【写真投稿の例】

毛布にメッセージをミシンで縫い付けている写真 毛布を少年に手渡ししている写真

【投稿方法】

利用規約にご同意の上、LINE、またはメールにて、事務局宛にお送りください。

〇LINE 以下のURLを開いてから「+追加」を選び、LINE公式アカウント(#アフリカと私)をお友達登録してください。トークからメッセージや写真を送信することができます。
https://liff.line.me/1645278921-kWRPP32q/?accountId=097ocspu

〇メール
info-jbac@mofu.org

【諸注意】

・投稿された内容は、JBACのホームページ(みんなの声や、その他のページ)、SNSで掲載させていただきます。以下のリンクにある「利用規約」にご同意の上、投稿ください。https://mofu.org/minitour/711/

・見ている人が嫌な気持ちになる表現が含まれるなど、場合によっては掲載されないこともございます。

・投稿内容に関して、投稿していただいてから反映まで数日お時間いただくことがございます。

・LINEまたはメールにて、ご連絡をする場合がございます。

募集内容を見る

アフ毛ストーリーズ

運動で深まった地域とのつながりを生かし
今後も社会を明るくする活動を

小林宏至さん(東京都)

2022年、品川アフリカへ毛布をおくる会の収集活動

2022年、品川アフリカへ毛布をおくる会の収集活動

小林さん(左)

小林さん(左)

間の当たりにしたアフリカの人々の厳しい生活

 「アフリカへ毛布をおくる運動」との出合いは2004年になります。

 2006年には配付ボランティア隊のメンバーとしてエチオピアを訪問しました。現地の皆さんの生活の厳しさを目の当たりにし、衝撃を受けたのを覚えています。旅行会社を経営している関係でアジアの国々を訪れていましたが、エチオピアはそれまで見たことのない光景、暮らしでした。印象的だったのはまず、家です。家と言っても土でできた「かまくら」のようなもので、その中にゴザを一枚敷いて寝ているということでした。一日の寒暖差が激しく、朝晩は気温が10℃以下まで下がってしまう現地の気候を考えると毛布が果たす役割の重さを感じました。その上、食糧不足により食事は取れても1食、もしくは2食ということを知りました。

 私は「アフリカへ毛布をおくる運動推進委員会」の構成団体である宗教法人立正佼成会の会員です。立正佼成会の会員は月に数回食事を抜き、その抜いた食事の代金を献金して世界各地の困難な状況にいる人々の支援に役立てる「一食(いちじき)を捧げる運動」に取り組んでいます。空腹感をとおして貧困や紛争下など困難な状況下にいる人々の苦しみを少しでも味わい、またそうした人々の平和を祈り、献金という具体的な行動を起こす運動です。

 当たり前に3食を取ることができる中で、月に数回「一食を捧げる運動」として1食を抜いている私です。毎日1食か2食しか取れない人たちを目の前にし、いかに自分の生活が恵まれているかに気づかせてもらいました。また、「衣・食・住」のうちの「衣」と「住」を毛布がある程度補えることを知り、毛布をおくることをとおしてアフリカの人たちを可能な限り応援したいと強く思ったものでした。

 一枚でも多くの毛布をアフリカへ。そう考え、帰国後も運動に励みました。10年前には「品川アフリカへ毛布をおくる会」を立ち上げ、東京・品川区が開催する社会貢献活動団体の活動を紹介するイベントにも参加するようになりました。区内のさまざまな社会貢献活動を行なう団体が一堂に会するものですが、来場者へのPRだけでなく他団体の皆さんと互いの活動に協力し合ったり、告知し合ったりしてきました。5年前には同イベントの実行委員長も務めました。

 近年ではSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を積極的に活用し、運動への協力を呼びかけています。品川区はマンションなど集合住宅が多く戸別訪問がなかなか難しい実状もあります。また昨年、一昨年のコロナ禍では戸建て住宅への訪問も控えたため、Facebookや地域ごとの情報掲示サイトなどでのPRに力を入れました。問い合わせや協力の申し出の連絡をいただいたら、訪問するというスタイルです。

収集日に行われたメッセージの縫い付け

収集日に行われたメッセージの縫い付け

遠いアフリカへ思いを馳せられるように

 これまでのPR活動もそうですが、運動について説明する機会をいただいた時に私が大切にしてきたのは「遠いアフリカの人々へ思いを馳せていただきたい」ということでした。目の前に困っている人がいたら大変そうだな、力になりたいと思うのはある意味自然なことかもしれません。目の前にいない、遠いアフリカで困っている人、苦しんでいる人のことをどのように感じてもらうか、心を寄せてもらえるか。それが大事だと考え、毛布を必要とするアフリカの現状と、私たちが毛布を送るだけではなく、心をおくる運動を行なっていることを一生懸命に伝えました。

 これは私自身にとっての実践でもあります。目に見えない世界、自分が直接的に触れることのできない世界や人々にどれだけ思いを寄せられるか。感性を磨くということだと思っていますが、運動をきっかけに少しはできるようになった気がしています。また、毛布を受け取りに行った際も、「毛布をもらいに来ただけの人」と思われたくなく、とにかく丁寧に誠意を持って「この人に毛布を託せば、アフリカの困っている人に毛布が届く」と感じてもらえるような出会いにしようと努めてきました。

 今年で運動が終了するのは大変残念ですが、前向きに捉えていこうと思っています。アフリカと縁をいただき、年々愛着が深まってきています。今後、どのようなかたちで関わっていこうか、今はそんなふうに考えています。また、振り返れば、運動を継続したことによって地域の皆さんとのつながりをたくさん持つことができました。長く運動に携わってきた皆さんもきっとそうだと思います。ぜひそうしたつながりを大事にして、違うかたちで地域を明るくするような取り組みをお互いさまにやっていけるといいのではないか。そんなふうにも感じています。

 お世話になった方に、Think Globally , Act Locally(地球規模で考え、足元から行動する)」と教えていただきました。応援する先はどこであれ、そうしたことを実現できる人が増えれば、より良い世の中になっていくと私は信じています。

続きを見る

心に染みる宮沢賢治の言葉 世界の幸福のために自分のできることを

髙橋利之さん(秋田県)

鹿角市で毛布の協力を呼びかける秋田県北明るい社会づくりの会のメンバー(写真提供:髙橋さん)

鹿角市で毛布の協力を呼びかける秋田県北明るい社会づくりの会のメンバー(写真提供:髙橋さん)

大館市内での収集活動(写真提供:髙橋さん)

大館市内での収集活動(写真提供:髙橋さん)

活動歴38年 運動スタート年から参加

 私は現在、秋田県北明るい社会づくりの会の事務局長を務めています。「アフリカへ毛布をおくる運動」は同会の事業の一つとしてこれまで取り組んできました。

 昨年、一昨年は新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、収集キャンペーンは実施できませんでした。そして今年、コロナ終息の目処が立たない中で、運動の終了が決まりました。私たちは、収集活動の実施を検討する前に、何をおいてもこれまで協力してくだった地域の皆さんに感謝を伝えようと確認しました。話し合いを重ねているうちに「だったら収集活動もやるべ!」となりました。現在、活動の真っただ中です。

 今年は運動事務局から提供いただいたチラシのほか、これまでの協力への感謝を綴ったオリジナルのチラシを作成し、2枚セットで地域の皆さんにお渡ししています。また、過去に輸送費の説明が不足していたことがあったので、これについてもチラシに丁寧な説明を記載しました。最後だからこそ正しく分かりやすく伝え、「協力したい」「何か役に立つことがあれば」というたくさんの人の思いをしっかり受けとめさせていただきたいと考えました。

 振り返れば、私自身が運動と出会ったのは37歳の時、運動がスタートした1984年です。先輩に誘われて手伝いをしたことがきっかけでした。たくさんの先輩方の願いを受け継がせていただいて現在に至ります。初めアフリカは暑いところというイメージしかなく「なぜ、アフリカに毛布?」と思ったものです。干ばつや貧困などで多くの人が厳しい状況にいることを学び、気の毒に思いました。

 収集活動への気持ちをさらに奮い立たせてくれたのは、配付ボランティア隊として現地を訪れた親しい先輩の話でした。運動に取り組んで数年が経った頃だったと思います。貧困下にある生活、毛布を受け取った人のとても嬉しそうな様子、毛布を受け取るために何時間もかけて歩いてきた人がいたこと、希望するすべての人に配付できなかったこと。また、気温の寒暖差が激しいアフリカでは毛布が日除けや寒さを凌ぐためにも使われ、一軒の家に相当する価値があるなど、先輩が見てきたこと、聞いてきたことを分けてもらいました。

北秋田市鷹巣でのメッセージ縫い付け作業(写真提供:髙橋さん)

北秋田市鷹巣でのメッセージ縫い付け作業(写真提供:髙橋さん)

最後の収集キャンペーン
全国の仲間と お互いに「よくやった」言い合えるように

 一枚の毛布の価値を知った私は〈これは一枚でも多く毛布をおくらなくてはいけない〉と思いました。そして、同じ志を持った仲間とともに地域で運動を展開することにしました。秋田県大館市の広報誌や新聞に掲載すると、本当に多くの反響をいただきました。協力してくださる皆さんの気持ちが温かく、胸が熱くなりました。

 私は子どもの頃、祖母から繰り返し「人の役に立ちなさい」「人の喜ぶことをしなさい」と言われて育ちました。私なりに心がけてきたつもりですが、皆がそうした同じ気持ちや考えを持っていて、一緒にアフリカの人たちの幸せを願って行動していると思ったとき、とても嬉しく有り難く感じました。出会った人たちと「アフリカの人もきっと喜んでくれますよね」と言葉を交わしていたことを覚えています。長い間、一緒に取り組んだ仲間はもちろん、毛布を提供してくださった人たちと出会いをいただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 運動が終わるのはやはり寂しいものです。確かに今の時代に毛布をおくるという支援が最善なのだろうかと考えたこともありましたが、毛布が欲しくても手にすることができない人がいることを想像すると可哀想でなりません。また、今まさにロシアによるウクライナ侵攻が行なわれています。宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉が心に染みています。

 私は仕事を退職後、町内会長も務めています。私たちの地域は何か困りごとがあれば町内会長に連絡するといった習慣があるのですが、特に私の町内は高齢の方が多いため度々電話をいただいています。しかし、連絡をくださるから安否を確認できます。手伝いに伺って元気な、また喜ぶ顔を見ると安心し、嬉しくなります。アフリカの人も町内の人も同じです。元気なうちに人の役に立てること、人に喜んでもらえることをさせていただくつもりです。

 最後になりますが、長年一緒に運動に取り組んできた全国の皆さんにも感謝を伝えたいです。皆で頑張って、一年間に10万枚を超える毛布を収集したこともありました。本当に懐かしく思います。今年の収集活動が終わったとき、全国の皆さんと、お互いに「よくやったよね。ご苦労さま」と言い合えるよう、最後まで精いっぱい取り組みます。

続きを見る

多くの人の“善意”の受け皿として働ける喜び

反町里江(りえ)さん(埼玉県)

反町さん

反町さん

スタッフが書いた毛布用メッセージとイラスト(右)

スタッフが書いた毛布用メッセージとイラスト

スタートはボランティアスタッフの募集から

 15年前に「アフリカへ毛布をおくる運動」のボランティアグループを立ち上げ、埼玉県入間市のイルミン(市民活動センター)に登録しました。それまでも運動に協力したことはありましたが、アフリカの現状を深く知るにつれ、地域の皆さんにより一層協力を呼びかけたいと思ったことがきっかけです。

 近隣のお宅を訪ねることから始めました。アフリカの現状を説明し、道路に面した塀にポスターの掲示や毛布の提供をお願いするとともに、「ボランティアスタッフも募集しています」と伝えました。地域の新聞やケーブルテレビにも取り上げていただきました。善いと思ったらすぐに行動する。正しいことは必ず人さまに伝わる。そう信じ、積極的に動きました。

 ボランティアスタッフは60代、70代の女性が中心で、長く携わっている人も少なくありません。初めて連絡をくださるときには、多くの人が自身の半生と社会貢献への思いを語ってくれたものです。体調を崩しがちだったり、定年退職や伴侶を亡くしたことによって喪失感を抱えたりしている人もいました。そうした皆さんがアフリカの人たちに思いを寄せ、「自分のできることで役に立ちたい」と勇気を出して電話をくださったことがとても嬉しく、有り難いと感じました。また、たくさんの仲間に出会うことで私自身が勇気を与えてもらいました。

 収集キャンペーン期間中は、広報活動に始まり、日時を変えて複数カ所、多いときには10カ所に収集会場を設けました。連絡をいただけば県内各地にも伺ったものです。並行して定期的に市の無料の施設を借り、毛布の修繕やメッセージの縫い付けなどを行ないました。お昼をはさんでの活動ですから各自お弁当を持参し、それぞれが得意な分野を担当して楽しく活動してきました。

ボランティアグループの仲間たちと(写真提供:佼成出版社)

ボランティアグループの仲間たちと(写真提供:佼成出版社)

“毛布”がくれた出会い、経験が宝物

 地道な活動でしたが、通年の取り組みとしていたこともあって、ここ1年間に1940枚を収集させていただきました。印象的なのは、ほとんどの方が「協力させてください」という言葉を添えてくださったことです。皆さんの“善意”の受け皿として働かせていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 私自身、運動をとおして学びや貴重な経験もさせていただきました。ボランティアグループを立ち上げる前ですが、環境問題をテーマにした市のクリーンセンターの職員による講演会に参加し、新品や新品に近い状態の毛布がごみとして捨てられていること、また毛布を処理するには裁断や焼却など多額の費用がかかることを知りました。講演終了後、すぐさまその職員さんのもとに駆け寄って私たちの活動について説明し、毎月1回、状態の良いものを回収させていただけることになりました。現在も、1年間に2000枚以上の毛布がごみとして収集されているそうで、以前より減ったものの環境問題の観点でとても残念に感じています。

 アフリカ諸国の課題や支援のあり方をテーマにした国際会議などにも数回参加しました。地域のお寺で運動について講演する機会をいただいたこともあります。振り返れば、本当に多くの皆さんと出会いをいただき、たくさんの学び、喜びを得ることができました。

 運動が終了することはとても残念です。スタッフとは、地域の皆さんや施設を貸してくださる皆さんにこれまでの協力への感謝と、毛布収集は今年が最後ということをしっかり伝えていこうと確認しました。高齢メンバーが中心のせいか、市役所の職員さんからは趣味のサークルなどにかたちを変えて活動を継続することを勧められました。しかし、スタッフからは「ここに参加するのは人の役に立ちたいから」と社会貢献への思いが語られ、心強く、嬉しく感じました。今後、どのような活動に取り組むかについては皆で検討しているところです。

 思えば、苦労したことが一つだけあります。それは洗濯した毛布を物干し竿に干すことです。汚れのある毛布は我が家ですべて洗濯していたのですが、私は身長が低いため、干すのにとにかく骨を折りました。洗濯用洗剤の購入費や水道代、電気代に驚いたことも、毎日毛布を洗うため洗濯機が壊れたことも良い思い出です。〈ああ、この一枚がアフリカの誰かを喜ばせてくれる〉。いつもそんなふうに考えて、これまで一つひとつの取り組みに心を込めさせていただいてきました。

 “毛布”がくれたすべての出会い、経験が私の宝物です。

続きを見る

多くの人とのつながりと命の尊さを学んだ「アフリカへ毛布をおくる運動

靍田啓二さん(山梨県)

2014年の取り組みから。甲州市民文化会館に設置した収集会場(写真提供:佼成出版社)

2014年の取り組みから。甲州市民文化会館に設置した収集会場(写真提供:佼成出版社)

市民運動化を目指した20年

 私が「アフリカへ毛布をおくる運動」に本格的に取り組み始めたのは、ちょうど20年前の2002年からです。アフリカの現状や運動の目的を考えたとき、地域社会の多くの人々と一緒に取り組みたいと考え、社会活動に熱心だった先輩や仲間とともに「アフリカへ毛布をおくる運動 峡東地区推進委員会」(任意団体)を立ち上げました。

 一人でも多くの方に運動を理解し参加していただくため、誰もが知っている公共施設に収集会場を設置しようと、甲州市民文化会館と山梨市役所の2カ所にお願いしました。広報活動は青壮年男性によるオリジナルチラシの配布に始まり、広報車での巡回、テレビやラジオ・新聞など、メディアからの取材・出演に力を注いできました。

 最も反響があったのは、地元、NHK甲府放送局のニュース番組への出演です。地域イベントをPRする生放送のコーナーに、学生など若者たちが出演したその効果は絶大で、広く県民の皆さんへ知られるようになりました。

 それと同時に、皆さんからの問い合わせが多くなり、経営している会社に事務局を設け、社員が電話対応や当日会場に届けられない毛布の受け取りなどにも協力させていただきました。

 また、会社を通じて取引のある山梨中央銀行にも協力をお願いしました。銀行の店舗ロビーに、収集キャンペーン中の5月の1カ月間、アフリカを訪れた配付ボランティア隊の活動を伝える写真を展示してほしいとお願いしたところ、快諾していただき、国際貢献活動として数店舗で写真展を行なっていただけることになったのです。

 写真展の開催が10年を超えた2014年には、ケニアのNGO(非政府組織)「アフリカ開発緊急機構」のべナード・ウェソンガ事務局長らが同行本店や支店を表敬訪問されました。この訪問は多くのマスコミの注目を集め、銀行の皆さんも大変驚かれ、光栄に思ってくださいました。以降、以前にも増して、写真展の準備から収集会場の提供まで、積極的に協力してくださっています。

ケニアのNGO(非政府組織)「アフリカ開発緊急機構」からウェソンガ事務局長らが山梨中央銀行本店を訪問。写真右から2人目が靍田さん(写真提供:靍田さん)

ケニアのNGO(非政府組織)「アフリカ開発緊急機構」からウェソンガ事務局長らが山梨中央銀行本店を訪問。写真右から2人目が靍田さん(写真提供:靍田さん)

最終年は「ありがとうキャンペーン」に

 20年を振り返ると、運動が本当にものすごい勢いで広がったなと感じずにはいられません。スタート時、峡東地域2カ所だった収集会場は協力する個人や団体も増え、新型コロナウイルス感染症の拡大前には山梨県下全体に広がり、9カ所になっていました。運動に関わる人々がアフリカを知り、一枚の毛布により、何かに目覚めたのだと思います。事務局への問い合わせも一年を通じていただくようになっていました。

 運動がこれほどまで広がった理由について、私は「アフリカへ毛布をおくる運動」が単に毛布をおくることのみにとどまらず、私たちの想いを届ける運動に発展したからだと思っています。それは、この運動が誰でも参加、協力できる運動であり、毛布や輸送費の提供はもちろん、毛布へ添えるメッセージやイラストを描き、そのメッセージを縫い付け、さらには毛布の運搬や梱包作業など、老若男女それぞれが、世代を超えて役割を担うことができることです。皆の「アフリカの人の役に立ちたい」という想いを、自分にできるカタチで、行動につなげることができたからです。

 なかでも、とても印象に残っている出会いがあります。あるとき、赤ちゃんを抱いたお母さんと娘さんが毛布を持って収集会場に来られました。お母さんは「この子が生まれた記念に何か善いことをしたい」と参加の理由を語ってくれました。新しい命の誕生という証にこの運動を選んでくださったことを知り、心が熱くなりました。

 「毛布をおくってアフリカの人々に希望を届けたい」とスタートした取り組みですが、私自身が毛布を通して命の尊さや、たくさんの希望と勇気を与えていただいたと感じています。今年で運動は終了しますが、アフリカはまだまだ厳しい状況が続いています。これからもアフリカの人々の幸せを祈る気持ちに変わりはありません。アフリカに限らず、違った運動や活動で私たちの想いをカタチにする機会があるでしょう。そのときは地域の人々の善意の受け皿となれるよう、この経験を活かしたいと考えています。

 今年のキャンペーンを、私たちは「ありがとうキャンペーン」と位置付けています。私たちにアフリカの人々とつながる機会をいただいた運動に感謝。一人ひとりの願いの詰まった毛布をお持ちくださった皆さんに感謝。そして、私たちの想いを受け入れてくださったアフリカの人々に感謝です。

 多くの人とつながることができた「アフリカへ毛布をおくる運動」に関わることができたことの誇りを胸に、最後の収集キャンペーンに取り組ませていただきます。

続きを見る

心を揺さぶられたアフリカ訪問

峯坂光重さん(秋田県)

2017年、配付ボランティア隊として活動したモザンビーク(写真提供:佼成出版社)

2017年、配付ボランティア隊として活動したモザンビーク(写真提供:佼成出版社)

配付ボランティアとしてモザンビークへ

 2007年に「配付ボランティア隊」としてモザンビークを訪問しました。「アフリカへ毛布をおくる運動」に携わって30年くらいになりますが、いつか現地を訪れて直接毛布を手渡したいと思っていた夢が叶いました。

 現地を訪れたかったのは他にも理由があります。知人の大学生が配付ボランティアに参加したのですが、帰国した日の様子が印象的でした。仲間が用意した日本茶とお赤飯を前にして、ポロポロと涙をこぼしていました。疲れや帰国した安堵もあったかと思いますが、表情は明るいものではありませんでした。アフリカの現状を目の当たりにしてショックを受けたのだろうか。いつか私も彼女が見た風景を見てみたい。そんなふうに思ったのです。

 モザンビークを訪れた年は、世界的に原油価格が高騰していました。出発直前、現地でもその影響で暴動が起きていて、状況によっては経由国で待機する可能性があることを知らされました。入国できたものの、暴動の様子や、バス代が値上がりして子どもを学校に通わせることができない、タクシードライバーが車を走らせることができないといった今まさに起きている話を聞き、日本の暮らしとの違いに大きな衝撃を受けました。

 配付活動が始まると、毛布を手にしたり、胸に抱いたりして喜んでいる様子を見たり、過去に毛布を受け取った人のお宅を訪問したりするなかで、〈毛布が役に立っている〉と感じることができました。一方で、私たちを待っている配付予定枚数をはるかに超える人々の姿や毛布梱包用の紐でいいから欲しいという声などに困惑しました。毛布を受け取った人は無事に家に帰ることができるだろうか、毛布を巡って争いが起きてしまうのではないだろうか。そんなことも考えました。

 配付活動中は喜びやそれとは違う感情、考えなどが交錯する毎日でした。知人の大学生が見た風景、感じた思いはこういうことだったのだろうかと想像したものです。また、毛布を求める人の多さに、渡せた、渡せなかったということばかりにとらわれ、「共に生きる」という運動の願いを忘れていた自分に気づき、苦しくなったこともありました。

 そうした気持ちで迎えた最終日。毛布を届けたのはアクリディックというキリスト教の精神をベースにしたNGOが支援する貧困に苦しむ人たちでした。このコミュニティの皆で毛布を受け取る人を相談して決めたという説明を受けました。多くの人が集まっていましたが、毛布を受け取った人を皆が温かく見守り、時には抱きかかえて祝福していました。私たちが帰るときには、無事帰国できるようにと祈りを捧げてくれました。他者のために祈るその姿に言葉で表現できない感動を覚え、運動の願いを改めてかみしめました。

新潟県長岡市東川口の皆さんとの収集活動。前列右端が峯坂さん(写真提供:峯坂さん)

新潟県長岡市東川口の皆さんとの収集活動。前列右端が峯坂さん(写真提供:峯坂さん)

市民の真心で運動が展開

 ボランティア活動に限らず、これまで運動に携わってきたことを振り返ってみると、「アフリカへ毛布をおくる運動」はいつも私の心をさまざまに動かし、学びや気づきを与えてくれました。また、単に毛布をおくることを重視するなら、一企業が行なったほうがきっと効率が良く、確実です。しかし、私たちの運動は市民に呼びかけ、市民が応えています。アフリカで困っている人がいる。その事実に多くの人が心を動かされ、行動に移していると思うのです。まさに真心であり、運動に込められた願いがかたちになっていると感じています。

 以前暮らしていた新潟県長岡市東川口は、2004年の新潟県中越地震で大きな被害にあいました。地域の皆さんに毛布の提供をお願いすると、「地震のときにいろいろな人にお世話になったから自分のできることをしたい」と快く協力してくれました。協力を呼びかける側の私たちも、そうした地域の皆さんの気持ちにさらに心を動かされ、自分ができることは何だろうと考えたり、アイデアを出し合ったりして一層の運動の推進に励んだものです。

 今年の収集キャンペーンで運動が終了するのはとても残念です。しかし、いつの日かかたちを変え、互いのために祈り、行動するという「アフリカへ毛布をおくる運動」の精神が引き継がれる、新たな取り組みがスタートすることを願っています。

 最後に、運動を運営してくださったJBACの皆さま、また私たちとアフリカの人々をつないでくださった現地NGOの皆さまに感謝を申し上げます。多くの人が携われる運動を展開してくださり、本当にありがとうございました。

続きを見る

#アフリカと私

水坂起代子

広島県

私が「アフリカへ毛布をおくる運動」に初めて参加させていただいたのは森繁久彌さんが会長として提唱された時です。学生時代のクラスメートに声がけしながら、集まった毛布を我が家だけでは間に合わず、コインランドリーで洗濯しては収集場所となっていた立正佼成会の教会に持っていきました。(笑)

その後、当時「青年の日統一行動」で毛布を2000枚目標として青年たちが毎晩、仕事が終わってローラー作戦で団地を回り「立正佼成会青年部です!」と頭を下げながら「趣旨」を説明して歩きながら毛布を収集しました。対外に向けてはテレビのお知らせ番組に出たり、広島市のNGO団体の方々に一人ずつ、丁寧に説明にあがったりしました。人見知りの私や青年たちにとっては、いつも冷や汗、ドキドキの毎日でした。気がついてみると、集まった毛布は5000枚余り、もちろん一般の方々にも、ご協力頂き支えていただいたお陰です。

この体験によって、自分達だけでも「やればできる」という自信がついたと思います。毛布のお陰さまで貧困、飢餓等は、決して遠い国のことではなく、私たちの豊かさの裏にあり、つながっていることも、改めて学ぶことができました。そして、アジアとの交流をされている広島市のNGO団体の方々と共に学び活動をするきっかけになりました。

1990年代を駆け抜けました。2000年青年部創部50周年を記念して広島県5教会の有志により、HRCP(ヒロシマ宗教協力平和センター)を設立し、翌年NPO法人として現在に至っています。当時、NGO連絡会議の代表者で、日本キリスト教会牧師の荒川純太郎さま初め多くの方に支えていただきました。「アフリカへ毛布をおくる運動」クロージング企画をお伝えしたところ、

共生庵 主宰 荒川純太郎さま
HRCP 理事長 上田知子さま

よりコメントを頂きましたので、ぜひご覧ください。

続きを見る

主宰 荒川純太郎

共生庵

本当に長い間継続され実に多くの方々から協力を受けられ、膨大な量の毛布をアフリカに送り続けてこられたことに改めて感動しています。最初にあの大きなポスターを拝見した時とても素晴らしいと感服しました。敬意をこめて、長い間共生庵のゲストハウスの壁に掲げて来訪者に見ていただきました。とても素敵なプロジェクトで日本国内とアフリカとの双方の交流と連帯の意識が育てられたことでしょう。

私はボルネオ島の東マレーシアサラワク州の先住民族イバン教会支援のため4年間滞在していました。日本の教会婦人たちに呼びかけて古着リサイタル衣料を送り続ける運動をわたしたち家族が現地滞在中4年間続けました。イバン教会では女性が中心になりバザーを開き彼らの活動資金を捻出していました。

二束三文の衣料を高い郵送料や手間暇をかけてやることにどんな意味があるのか問われながら続けました。現地ではその無駄と思われるような労苦が現地の最貧層の人たちに、何倍にもなって多くの恵みと気付きを与えられたことを実感したものです。

私たちの小さな休眠衣料寄贈、送付運動を考えると、皆様が協力された貴重なご奉仕はどんなに素晴らしい大きな影響を双方が受けられたかと想像することができます。企画し一枚一枚メッセージと名前を縫い込まれた愛はアフリカに文字通り暖かい宝になり、肌身にしっかりとうけと得られたことと思います。

この度この取り組みに区切りをつけられるとのこと本当にご苦労様でした。そして心からの熱い拍手を持って「ありがとうございました!」

続きを見る

理事長 上田知子

HRCP

HRCP活動写真

NPO法人ヒロシマ宗教協力平和センター(HRCP)では、平成12年から平成24年まで”ひろしまフラワーフェスティバル”の会場などで、パネル展を行いました。市民の皆さんにアフリカの現状を知っていただき、子どもたちがアフリカで毛布を受け取る人たちのことを思いながらメッセージを書いてくれました。たくさんの方々と平和を思うことができる楽しいひと時でした。

また、平成16年にエチオピアのティグレ救援協会のお二人を広島平和公園にご案内した時、私たちに絵をくださいました。その絵は、エチオピアの女性が植物の葉で大きな丸いテーブルを編んでいるものでした。「このテーブルに世界中の人たちが並んで座って、笑いながら同じものを食べることができる世の中になってほしい」と語られたことは今でも忘れられません。平等で平和な、笑顔あふれる世界になりますように願っています。

立正佼成会秋田教会

秋田県秋田市

撮影年:2022年5月

松井規泰

広島県

1996年12月 アフリカへ毛布を送る運動 タンザニア・ルワンダ隊参加

撮影 1996年12月 タンザニア国カゲラ県ガラ地区 ルコレ難民キャンプ

毛布駅伝1つの節目をむかえるのですね。青年の日にて、青年部で、アフリカへ毛布を送る運動に参加させて頂きました。ひとりひとりに呼びかけ頂いたと同時に、地元のTV番組の「あなたのニュース」にて毛布収集を広く呼びかけ沢山の毛布が集まりました。

私は3グループのうちタンザニア・ルワンダ隊の配布に加わり、タンザニアには無事に毛布をお届けする事が出来ましたが、もう1つの配布国ルワンダは、隣国ザイール(現ゴンゴ)で内乱がおこったため、入国配布が出来ず悔しい思いもしました。

国際情勢の不安定さを肌で感じ、微力ながらでも運動を続ける意義を知ることになりました。又NGO・現地のスタッフ、難民の方々、事務長、参加の仲間たち、支えてくださった多くの人たち、有り難う御座いました。(元気してるかな?)

縁は異なもの味なもの、たがが毛布されど毛布 毛布駅伝は1つの終わりをむかえますが、1つの旅はあたらしい華を咲かせています。皆さまの前に 旅に終わりはありません。

続きを見る

足立教会舎人支部

東京

足立教会舎人支部 アフリカ毛布活動写真 足立教会舎人支部 アフリカ毛布活動写真

コロナ禍でなかなか身動き出来なかった時に、職場の施設の建て替えに伴い、たくさんの毛布の行き先に困っているとの連絡を頂きました。普段からアフリカへ毛布を送る運動に、意識を持って取り組んでいたので、こんなお話を頂いたことに、感謝でいっぱいになりました。
しかも約150枚ほど頂けました!みんなで感染にきをつけながら運んだことは、ちょっと疲れましたが思い出になりました。

小川さん

千葉県船橋市

私にとって「アフリカへ毛布をおくる運動」に参加させていただいたことは、学生時代サークル活動に一生懸命だった自分を思い出させてくれる体験でした。実行委員として若い方々と♡多くの人に自分が役に立てる喜びを知ってもらいたい、人を思いやる気持ちを分かち合う♡との思いで何度となく会議を重ね、手作り学習会を開催したり、公共掲示板を利用した宣伝、地域でチラシを配るPR活動、また戸別訪問しての回収での心あたたまる方々とのふれあい、「アフリカの新たなビジョン」のシンポジウムへの参加、不器用な手つきで(なかなか慣れなくて苦労しました)毛布一枚一枚にメッセージの縫い付け、etc.
この毛布たちがアフリカの地で大活躍してくれることを願い、自分自身もその毛布のぬくもりを心から感じさせていただきました

カンタさん

東京

10年以上前ですが、フォコラーレの友人(イタリア人)が日本に遊びに来ました。私が仕事で一緒にいられないときがあり地元の教会でお世話をして頂きました。ちょうど教会では、アフリカへ送る毛布メッセージを付ける作業をしていたので、彼女は持ち前の芸術的センスを活かしてキレイなメッセージを沢山書いてくれました。彼女は役に立てたこと、日本人の青年と交流が出来たことに喜んでいました。また教会の方もイタリアの友人が出来たこと、諸宗教で運動に取り組めたことに喜んでいるようでした。